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BIOGRAPHY

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聖児セミョーノフ

Seiji Semenov


2月21日大阪生まれ。
ユダヤ系ロシアのルーツを持つ日本人シャンソン歌手・俳優。
美輪明宏の歌を聴いてシャンソン歌手になることを決意、京都での大学在学中より歌い始め、中退上京後、本格的な音楽活動を開始する。ライブ活動開始からまもない2008年、各メディアから “シャンソン王子” として取り上げられ、シャンソン界の旗手として期待を担った。共同プロデューサーに高浪慶太郎(ex.ピチカート・ファイヴ)を迎えて2013年に発表したデビューアルバムに始まる “スムース・シャンソン 3部作” では、シャンソンへの愛と先達への敬意をベースに日本の新世代のミュージシャンたちとのコラボレーションを行い、シャンソンの新たな可能性を提示した。
シャンソン/ キャバレーソングのスタンダードを始め、ジャズ、ボサノバ、クラシック歌曲、現代音楽からオリジナルまで、フランス語・日本語・英語にまたがる広いレパートリーを自由な感性と類まれな歌唱力で歌いこなし、トラディショナルなシャンソニエ、バーからライブハウス、劇場まで活動の場を広げてきた。フランスでは劇場公演やパリ市主催イベントにて歌と日本舞踊のステージを務めた。
地域・世代・ジャンルを繋ぎ、人生の素晴らしさと愛おしさを歌う “現代のシャンソニエ” として活動する傍ら、「戦争に翻弄された歌」をピックアップしたライブシリーズ 「キミとボクと戦争と音楽と」も地道に続けている。

 

歴史 History


日本とユダヤ系ロシアのルーツ(高祖父はウラジオストク初代首長を務めたヤコフ・セミョーノフ)を持ち、父と伯父は武術指導者、母はメイクアップアーティスト、叔母は邦楽演奏家という環境の中、幼少の頃から日本と西洋、様々な文化・芸術にふれながら育つ。
10代の時にテレビで美輪明宏がアカペラで歌う「愛の讃歌」を聴き、シャンソン歌手になることを決意。
同志社大学を自主退学し上京後、音楽を核とした表現活動を開始。
ライブ、コンサートをはじめるとデビュー前にもかかわらず「シャンソン王子」としてメディアに取り上げられた。


2010年、大阪能楽会館にて初のリサイタルショーを開催。

銀座 マキシム・ド・パリにて初のディナショーを開催。

2011年、青山 ル・バロン・ド・パリにて作家・フランス文学者の堀江敏幸との対談を行うなど広くフランス文化に関わる活動を開始。

2012年、フランス・パリ16区にあるル・ラヌラグ劇場にてソロコンサートを開催。
フランス・パリのヴァンセンヌの森「パリ花公園」にて開催された『假屋崎省吾 展覧会』のパリ市主催オープンニングレセプションにて歌と日本舞踊のステージを務めた。

2013年、1st ミニアルバム『Smooth Chanson くちびるに歌を』を発表。同年末に2ndミニアルバム『Smooth Chanson 夜の哀歌』、翌年に3rdミニアルバム『Smooth Chanson 君と歌をつれて』を発表。
このスムースシャンソン三部作はいずれも高浪慶太郎との共同プロデュースで、カジヒデキ、桑山哲也、コシミハル、野宮真貴、ピエール・バルーらが参加。

2014年、女優・歌手の朝丘雪路と共に東京・大阪で『雪路と聖児のおしゃべりコンサート』を開催。
東京芸術劇場シアターウエスト他、各地にて上演された原作・三島由紀夫(近代能楽集『卒塔婆小町』)による舞台『一万年後も君は世界でいちばん美しい』の劇中音楽の制作を務めた。

2015年、シャンソンキャバレーの再興を掲げ、生歌とピアノだけでのライブ『Le Monde de Seiji ~聖児の世界~』を月例開催。

2016年、旧山科家別邸「源鳳院」にて文化講演会を開催。
PASS THE BATON祇園京都にてスペシャルライブを開催。
歌舞伎俳優・中村壱太郎との舞台を開催。

2017年、『ハミダシター』(フジテレビ)にて芸人・絵本作家の西野亮廣と対談。
定期公演を東京・ユーロライブ、京都・同志社大学寒梅館クローバーホールにて開催。

2018年、日本最大級のクラシック音楽の祭典『東京・春・音楽祭 – 東京オペラの森 2018 –』のプログラムとして、東京キネマ倶楽部で上演された『東京春祭NIGHT Cabaret(キャバレー)を巡る物語 〜1920年代の華やかなりし上海から、パリ、ベルリン、そして上野へ』[コンセプト/脚本/演出・中嶋彰子]に中嶋彰子と共にメインキャスト(MC役)として出演。
女優の草刈民代をゲストに迎えてソロライブを開催。

2019年、女優の松田美由紀との二人舞台、音楽劇『愛とは花のように育てなければならないもの』を東京・神戸にて上演。舞台には映像・林海象、音楽・ASA-CHANGが参加。

フランスのミュジカルスターのローラン・バンをゲストに迎えてソロライブを開催。
 

2020年、コロナ禍で苦境にあるシャンソニエにレギュラー出演を開始。

銀座にある日本最古のシャンソニエ蛙たちにて『蛙たち創業56年記念スペシャルライヴ』に出演。

2021年、『渡辺えり・聖児セミョーノフ フランス革命記念日スペシャルライヴ』を開催。

コットンクラブにて開催された国際的ソプラノ・ディーヴァ中嶋彰子のデビュー30周年記念公演『AKIKO NAKAJIMA & FRIENDS "CABARET NIGHT”』にゲスト出演。

2022年、音楽舞台『あなたはエディット・ピアフを知っていますか?』[演出・杉山剛志(国立ベトナム青年劇場芸術監督)/音楽・山中透(dumtype)]に主演。大好評をうけてすぐさま再演。大盛況のなか全11公演の幕を閉じた。

テレビ・ラジオなどメディアへの出演するなど多方面で活躍中。

そのほか、世紀末転換期にパリを中心に隆盛をきわめたキャバレー文化を現代によみがえらせるリーダープロジェクトを本格始動するため準備中。
シャンソンを軸に多彩な表現世界をその自由な精神で体現し続けている。

(敬称略)

 

聖児セミョーノフへのコメント

歌が、大きなかたまりのまま、口から入ってくる。
咽喉につまって、涙がでる。
胸につかえて、パンパンになる。
他人に気付かれぬよう、あごの滴がかわくまで、前を見つめている。
いっつも、そうなる。

遠山正道(株式会社スマイルズ代表)  


初めて会った日に、初めて彼のシャンソンを聴きました。
「Bon Voyage」。
生の歌声は私の心を文字通り震わせました。
彼の声のビブラートが空気を振動させ、私の心臓がコトコト共振して、涙がこぼれる。
その震えは帰り道まで止まりませんでした。
彼が歌うシャンソンにはたくさんの女の人生があります。
数分の一曲の中に、映画一本分の物語があります。
歌に震える。是非ライブ会場で体験してください。

軍地彩弓(Numéro TOKYO Editorial Director)

 

心が旅する音がする

川島小鳥(写真家)-1st ミニアルバム『Smooth Chanson くちびるに歌を』へのコメントより-

 

まずはデビュー・アルバムの完成、おめでとうございます。この輝かしい作品集が、多くの人に届きますように。さて、以下は個人的な所感、というか、落書きのようなものです。初めて聖児さんの歌を聴いたのは、小さなライヴスポットでのこと。そのとき、強い印象を受けたのは、彼の歌声が自分の知っているある男性歌手にとてもよく似ていたから。その男性歌手の名前を、ここでははっきりと明記はしない。もちろん聖児さん御本人には告げたのだけれども、ご当人はその男性歌手の歌声をすぐには思い出せなかったのだろうか、そんなこと初めて言われました、と曖昧に微笑むばかり。その男性歌手は、かつて1960年代の日本で洋楽のカヴァー・ポップスを歌う若い歌手たちが登場して、ジャズ喫茶、あるいはTVのヴァラエティなどで人気を博していた頃にデビューしたひとり。その素晴らしい歌唱力のおかげで楽曲には恵まれて、現在でもスタンダード・ナンバーとして歌い継がれている作品も多く創唱しているし、たいへんに個性的な風貌で映画のバイプレイヤーとしても多くの作品に出演している。だが、同時に当時は「芸能界でいちばんコワい男」と言われたほど、血の気が多く悪評の高かったタレントであり、多くのスタッフや共演者から敬遠された、という逸話もよく目にした。話を聖児さんのことに戻す。もちろん、聖児さんはいつもたいへんにジェントルで、他人に対しては女性以上に優しい心配りをする人であることを、一度でも彼と接したことのある人ならば知っているだろう。今回のアルバムに横溢する優しさ、多幸感、甘酸っぱさ、エレガンスは全て聖児さん自身のキャラクターから来ているものである。けれども、とぼくは考える。いつか聖児さんはきっと、彼の歌声からつい連想してしまうあの「芸能界でいちばんコワい男」のように凶々しい一面を音楽の中で見せてくれるはず。思い憧れていた恋が実らぬとわかった時、人生がいかにままならぬものであるか思い知った時、人の眼の奥に光るナイフの切っ先。人生の闇と、闇の中で光る狂気。いつか聖児さんは、そんな歌を集めた作品集も我々に届けてくれるのではないか。より荒んだ声で、きれいな顔には醜い刀疵を創って。そんなアルバムを作るときには、このぼくにも声を掛けてほしいと願う。喜んでお手伝いするので。

小西康陽(音楽家)-1st ミニアルバム『Smooth Chanson くちびるに歌を』へのコメントより-

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